思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

衝立岩ダイレクトカンテの思い出

先週のダイレクトカンテルート登攀のときに起きた取るに足りない珍事を書き留めておこうと思う。2ピッチ目のリードを終えて終了点のピナクルテラスでフォロワーをビレイしている最中、唐突に便意を催してきて、俺はどうしても我慢できなくなってきた。とはいえ排便は容易なことではない。なにしろ衝立岩のおどろおどろしい大ハング帯を真上にひかえた断崖絶壁にいるので、もしセルフビレイを外してしまえば、眼下に広がる数百m下の衝立スラブめがけて真っ逆さまに墜落しかねない。そして深刻な問題がもうひとつあって、それはうんちを置くスペースがほとんどないということなのだ。テラスという名称は名ばかりで、この終了点は人ひとりがやっと両足で立てるほどのスペースしかない。空中に尻を向けてうんちを真下に投下する方法も思いついたが、おそらくフォロワーに直撃してたいへんなことになるだろう。俺は当然ダイレクトカンテを完登するつもりでいたから、うんち敗退などという愚にもつかない失態を犯すわけにはいかなかった。

しばらく逡巡して思い悩んだ末、俺は決意を振り絞って行動に移すことにした。さながら、7年間もの永きにわたってサナトリウムに沈殿していた「魔の山」のハンス・カストルプが、ひとたび思い立つや軍に入隊すべく颯爽と療養所を飛び出していったように。俺はまず120cmスリングで簡易チェストハーネスを作り、これで終了点にビレイを取る。そして腰のハーネスを脱ぎ、岩壁に対して尻を向けて排便をするのだ。これは決して容易なことではない。数百mの高さを誇る朽ちかけた垂壁のど真ん中で岩壁に対して背を向け、頼りないチェストハーネスに体重を預けた状態でわずか10cm四方のエリアにピンポイントでうんちをするというのだから、これは経験を積んだアルパインクライマーにしかできない不毛な芸当にはちがいない。俺はそれを見事にやってのけ、あとは尻を拭くだけでさしたる困難はもはや残されていないと思われた。ところが、あろうことかトイレットペーパーを誤ってまるごと手から落としてしまったのだ。それは衝立スラブへまっすぐ落下していくかと思いきや、数十m落ちていくうちに巻き取られたペーパーが自然とほどかれ、しばらくその高度を保ちながらうるわしく風にたなびいていた。そして、晴天時の上昇気流にあおられるや、まるで峻しい滝を遡上していく鯉のように、身体をうねらせながら力強く上空へと舞い上がり、頭上の大ハングすら越えてはるか紺碧の彼方へと波立つように飛翔していったのだった。いや、そんなことはどうでもいい。尻に付着したうんちは、いまやまったく別の手立てで拭いさらねばならなかった。苦渋の選択として、ピナクルテラスに転がっているわずかな小石と枯れ草を使ってことなきを得たのだった。

 

ピナクルテラスにて