思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

「はじまりへの旅」のラストシーン

 

ヴィゴ・モーテンセン主演の「はじまりへの旅」は俺がかなり気に入っている映画の一つだが、それはラストシーンがとりわけ素晴らしく、観客が受ける印象を複雑なものにさせているからだ。かつての家族団らんの回復と大団円を予期させるような、いかにも感動的な背景音楽がフェードアウトして、家族の黙々とした朝食シーンが30秒間映し出されるなか、父親が少し気まずそうに子どもたちから顔をそらして窓を眺めるところで終わるのである。

同じ沈黙のシーンであっても、焚き火を囲んで子どもたちが文学や教養書を読む映画冒頭とはまったく対照的だ。ここでは、父親は書籍の中身と価値をあらかじめ吟味したうえで、子どもたちがそれを自分と同等に理解することを命じている。書籍は父親が選定したものであり、どこまで読み進めたか、どこまで内容を理解したか監視を怠らない。かれは子どもたちの読書する姿だけでなく、その内面に対しても目を注ぐことで家族の団らんに君臨している。

ラストシーンで父親が沈黙している理由は、監視したり君臨しているからではなく、おそらくは子どもたちと何を話せばよいか戸惑っているからだ。外の世界とのつながりを得た子どもたちが、何を思って勉学や読書に取り組んでいるのか、そこにどのような価値を見出しているのか、かれはいまや以前のように確信をもつことができない。子どもたちの精神世界は、父親の預かり知らないところで各々が豊かに花を開かせており、それは必ずしもかれが理解する世界の範疇が及ばないものだ。以前のような威厳を失い、団らんの場に君臨することができなくなった父親は、思わず手持ち無沙汰になってしまうのだが、それは同時に、子どもたちの内面がかれの統制のはるか届かないところへ羽ばたくときなのだ。