思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

遭難者に出くわしたら

たとえば、人跡のまれな山中で人事不省の人を見かけ、外部に救助を要請することが困難な場合、かれの体重にもよるが、俺はかれを助けるために可能な限りふもとまで担いでゆこうとするだろう。それは俺が他者を気遣うことができる人間だとか、道徳的であることを意味するわけではない。というのも、俺がそのようなことをするとしたら、それは単にふもとまで担いでゆくことに何か挑戦しがいのあるような面白みを感じたか、あるいは要救助者に対する卑劣な優越感を噛みしめるためにやるのであって、かれの身を案じる思いが俺の中に湧いてくるとはちょっと思えないからだ。実際、かれがとてもじゃないが俺の背負うことのできないほどの大男だとしたら、かれを見捨てることもいとわないだろう。一刻も早く外部に連絡するために、山行を中断して下山するかどうかも怪しい。あまつさえ、かれを気遣ってその場に寄り添うなんて退屈な真似は考えにすら及ばないにちがいない。それが若い女なら話は別だが。

このように俺は自分のことにしか興味がないので、傍から見たら倫理というものを小馬鹿にしているようにしか見えない、背反した態度を平気で取ることができる。そして実際におれは、世間一般の道徳というものに心底うんざりしていて、こっそり唾を吐きかける機会がないかうかがっている有様なのだ。俺がまともな人間でないのは俺自身がよく知っているので、そんな俺がまともな人間どもの社会の中で平気な顔をして暮らしているのが痛快に思えるときがある。それが単独行から下山した瞬間の喜びというやつの一部を構成しているのかもしれない。