思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

帰国後の顛末

海外出張やら帰国後の隔離やらクライミングやらで心忙しく、日記をつけるのが一ヶ月ぶりになってしまった。2月末から俺が何をやっていたか、特に帰国後の顛末について記録を残しておこうと思う。

 

海外出張中の2月下旬頃は、ひどい食あたりをおこして悶絶していた。原因は明らかで、仕事のストレスから馬鹿食いしたケンタッキーフライドチキンしか考えられない。食後すぐになんだか気分が悪くなり、その日の夜から発熱とひどい下痢に襲われた。それから5日間はトイレに一日20回は駆け込んでいたものだから、しまいにはケツの穴がトイレットペーパーで擦れすぎてひりひりになってしまった。

出張を終えて成田空港に到着すると、客室乗務員だか委託のバイトだか知らんが、大勢が帰国者をずっと見張って空港内を交代で誘導している。物々しい雰囲気の中で検疫や待機宿泊の説明を受ける。どうせ自宅待機なんだからそんなもん真面目に守るはずないだろとたかをくくっていたら、これから埼玉にある指定の宿泊施設へ向かうので、ホテルを予約していない人はみんなバスに乗れと言われる。ようやく出張を終えて自宅に帰れると思っていたので、このときの絶望感ときたらすごかった。宿泊施設へ向かうバスを待っている間、トイレに行くとみせかけてダッシュで空港の外へ逃げ出してやろうと本気で思ったが、なにしろずっと見張られているので大きな荷物を抱えて逃亡などできやしないとついに観念した。このときの俺の心境は、さながら強制収容所に連行されるユダヤ人のごとくで、心中に去来するのはV.E.フランクルプリーモ・レーヴィの著書で描かれているような、抵抗する気力も奪われ、黙して嵐をただやり過ごすだけの人間像だった。

バスに延々2時間揺られて到着した宿泊施設はひどいもので、建てつけの悪いほぼ6畳のワンルームには隙間風がひゅうひゅうと入り込んでくる。配給される弁当の惨めさときたら言葉にしようにもなく、例えば朝食はぺらぺらのサンドイッチ2個、昼食は手のひらに収まるほどのお椀に入った蕎麦だけだった。電子レンジもなく冷え切った粗末な弁当を毎日食べさせられ、本当に気が狂うかと思われた。帰国後の隔離の3日間はひたすら堪え忍ぶものであって書き記すような思い出は特にないのだが、例外と呼べるものがただひとつだけある。隔離2日目の深夜、ついに堪えきれなくなった俺は施設を抜け出してストレス解消にそのあたりをランニングしようと思い立ったのだ。個室のドアをこっそりと開けて非常用の屋外階段を降りたはいいものの、1階の扉に鍵がかけられている。2階から外に飛び降りてこれでひとときの自由を満喫できるかと思いきや、自分が降り立った場所から200mほど離れた施設の道路出入り口で警備員がつねに見張っているではないか。枯れ葉を踏みしめる音に気づかれるのではないかと思い、俺はうかつにその場から一歩も動くことができなかった。けっきょく一時の脱走はあきらめて2階へよじ登り、意気消沈して個室へ戻ることになったのだった。