思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

"Why Should I Care What Color the Bikeshed Is?"

政治について語ろうとするとき、自分の理解がぎりぎり及ばぬものを目にすることを恐れるあまり、われわれはいともたやすくパーキンソンの凡俗法則に陥っているように見える。例えるならば、自分が居住する自治体の原子力発電所建設計画に対して、原子物理学の関わる厄介な技術的課題や、天文学的なまでに高額な費用、そして全容のしれない込みいったスケジュールに手をつけることをすっぽかして、発電所に併設される自転車置き場の屋根の色について口を出すことに熱中するようなものだ。

建設計画の全体と比較したとき、屋根の色についての討議にいったいどの程度まで時間を割く価値があるのかという問いはこの際重要ではない。なぜなら、屋根の色について討議している者は、屋根の色こそは建設計画の根幹に関わる本質的な要素であり、それを決めることなしに計画を遂行することなど考えられもしないと言い張るにちがいないからだ。実際、かれらはそう信じているからこそ屋根の色について一生懸命になっているのだ。

もしわれわれのうちの誰かが原子物理学の専門家であったり、発電所建設の技術者であれば、屋根の色という些末なことに貴重な時間を費やす必要はないというのが、パーキンソンの凡俗法則が示す教訓である。では、もしわれわれのうち誰ひとりとして専門家でないならば、屋根の色は取り上げるに値する議題となって、互いに際限なく主張し合うことが合理的になるのかというと、それはちがう。屋根の色についてしか意見を表明できないとしても、発電所の複雑な技術や途方も無いスケジュールについて議論をしなくてもよい理由にはならない。問うべきは、たかが屋根の色にわれわれをここまで熱中させるものはなにか、われわれが屋根の色に固執することで、実際にはいかなるアリバイを内密に得ようとしているのかということだ。