思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

後立山連峰(白馬岳-五竜岳-鹿島槍ヶ岳)縦走

3泊4日で白馬岳-五竜岳-鹿島槍ヶ岳の縦走をしてきた。おおまかに以下のような山行で、3泊目が冷池山荘ではなくキレット小屋だったことを除けば計画通りだった。1泊目、2泊目はそれぞれ白馬岳頂上宿舎、唐松岳頂上山荘でテント泊し、3泊目はキレット小屋で小屋泊した。

 

7月22日 猿倉-白馬大雪渓-白馬岳頂上宿舎(白馬岳ピストン)

7月23日 白馬岳頂上宿舎-杓子岳-白馬鑓ヶ岳-不帰ノ嶮-唐松岳-唐松岳頂上山荘

7月24日 唐松岳頂上山荘-白岳-五竜岳-G4-G5-キレット小屋

7月25日 キレット小屋-八峰キレット-鹿島槍ヶ岳-布引山-爺ヶ岳-扇沢

 

一度の山行で白馬から鹿島槍まで歩き通した登山者はなかなかいないのではないかと思う。写真を撮った場所や、写っている山の名前も書きたいのだが、面倒くさいので止める。

山行2日目に唐松岳頂上山荘でテン泊をした際、隣にテン泊した方から靴ずれ防止の絆創膏とテープをいただいた。また、3日目に登山靴の靴底が剥がれて歩行に支障をきたすようになったところ、行き交う登山者の方々から、靴底を固定するための道具としてガムテープ、ダクトテープ、ゴムバンド、ビニール袋をいただいた。山行を無事に成し遂げることができたのはこれらの補助のおかげである。かれらに感謝申し上げる。

 

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靴紐、ガムテープ、ゴムバンド、ビニール袋で靴底を固定した結果、キメラのような不恰好な登山靴になった。すれ違う登山者にも面白がられて、冷やかし半分に写真を撮られた。

 

過酷な単独行の終わり近く、延々と下山道を歩いているときには、こんなつらい目に遭うのはもうごめんだ、ひとりで山登りなんてしても何の役にも立たないし、誰かが褒めてくれるわけでもない、こんな徒労はもうやめてしまおうとさえ感じる。しかし帰宅して一日経つと、あのときの記憶がこの上なく甘い感覚としてよみがえる。二の腕とうなじが感じる、熱気をもって焼き焦がすような日差しの照りつけ。まるで全身からにじみ出る汗が大気に拡散することで空気がけぶり、濃縮された重みをもって身体を取り囲むような空気の重圧。胸の奥底がぞくぞくと奮い立つような甘美な孤独、ザックを背負って岩場をよじ登るときの全身の筋肉のうめきと骨のきしみ。たしかにあのとき俺は肉体を地上の王国にして真の自由を掴んでいたということを証明する記憶のすべてが、再び山を恋しくさせる。そしてこう思うのだ、俺がやっていること、俺が成し遂げたことは他の誰も知らなくてよい、ただ俺だけが俺の肉体の栄光を知ってさえいればそれでよいのだ、と。