タイ式カラオケの本来の楽しみ方を知ったのは、帰国前日の6月9日に再度カラオケに連れて行かれたときのことだ。この店のカラオケ嬢はこなれていて、だいぶ盛り上がった。出張者や駐在員の皆と狂ったようにはしゃぎ、女性の肩に腕を回しながら酒を飲みキスをする。だが、それの何が楽しいというのだろう? 見も知らぬ女性とディープキスしながら思い浮かぶことは、まず、「トリストラム・シャンディ」に登場する、専門分野を身につけた半狂人、あるいは専門分野を身につけることで存在の骨格を歪められ、暗い穴の奥底で猿のようにぶつぶつと独語をつぶやく半狂人どものことだった。嘱託されたことを果たさずに帰国の途に着くこと、自分のすべきことをこなしている周りのタイ人や出張者の中にあって、煙を掴みとろうとするような絶望的な努力を無為にさらしながら右往左往していたこと、ベストを尽くしてきたつもりであっても、自身の軽率によってそれが幻影であったことが暴かれたこと。こうした不甲斐なさは、俺に専門性というもののグロテスクな様相を開示させた。たとえ工場で多くのことを学んでなにかしら専門と言えるものを身につけたとしても、朽ち果てた動物園の檻のなかに閉じこめられて、ひとりごそごそと身を動かしては死を待つだけの動物のように、自分がなにをしているのか、なにをしたのかも分からぬまま地中の暗闇に埋もれ去っていくだけではないのかという虚無が俺の胸にからみついた。アユタヤの片隅で日本人相手に元気溌剌と媚びを売り、ホテルに行かないかと誘う目の前のカラオケ嬢がなぜか次第に鏡を見ているように映ってきた。アルコールの回った頭のなかで、ウォルター・シャンディとトウビー・シャンディの、いつ終わるともしれない気味の悪いおしゃべりがえんえんと鳴りひびくのを抑えられなかった。
そして、次に想起されてくるのは映画「トレイン・スポッティング」と、セリーヌの小説「夜の果てへの旅」だった。ああ、それは俺にとって、この大地をひとりきりで歩んでいくときに薫ってくる痛々しいまでの自由であり、その狂おしいまでの希求そのものだった! 俺は広大無辺の砂漠のど真ん中で、あるいは遠い山並みを見晴るかす切り立った稜線のてっぺんでこう叫ぶことだろう。
君らの方から駆けつけてくるな、君らは俺の視界の入らないところでせいぜい好き勝手やっているがいい、君らのもとから離れるのは俺の方からだし、駆けつけてやるのも俺の方からだ。
誰が帰還を待ち望んでいるわけでもないこの俺を救援隊に、自由へのすがすがしい愛情とともに他者のもとへ駆けつけることのできる救援隊にしておくれ!
というのも、俺を救援隊にしてくれるのは、この大地を噛みしめる二本の脚だけだと信じていたからだ。そして実際に、俺を押しつぶそうとする大地の引力のすべてを呻吟するかかとで受け止め、両脚をふんじばって山に登るたびに、俺はこの肉体に栄光を降臨させてきたのだった。その記憶の数々を豪奢な衣装のように身にまとうことで、俺は俺を鎖でがんじがらめの家畜にさせる表象をなんとかおおい隠そうと、虚しくもがくのだった。
ところが次に俺に迫ってくるのはなんだったろうか、「失われたときを求めて」のスワンの惨めったらしい恋と、「トリスタン・イズー物語」で描かれる、身が引きちぎれるような愛欲の渇きだった。俺はこの後におよんで、タイ人のKのことをまだ忘れられなかったのだ。オデットに泣いてすがるスワンのように、あるいはイズーを激しくむさぼろうとするトリスタンのように、俺はKを一途に恋い慕っていた。なんと滑稽で惨めな愛だったろうか。あの柔らかい微笑みの裏で何を考えているのか、とうとう何も分からないで終わってしまったにも関わらず、それでもKへの痛烈な思いが消え去ることはないのだった。