思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

チュツオーラ「やし酒飲み」を読んだ。訳者は巻末の解説で、この小説からアフリカ人的世界観というもの(そんなものがあるとしてだが)を短絡的に導出しようとしているが、なぜ、ナイジェリアの一部族出身の作家が書き留めたものに全アフリカに共通する想像力が反映されていると信じこむことができるのだろう? あるいは、多数の国家、数え切れないほどの部族、無数の言語や習俗からなるアフリカについて、なにか共通の想像力や世界観が認められるはずだという訳者の期待はどこから来るのだろう?

いや、この言いがかりはまずかった。ただ、俺は文学を読むときに自己の期待や思想を文学に投影させ、予断していたものを文学に読み取って悦に入る読み方だけは絶対にしたくないのだ。その行為は小説を読むとは言わない。それは単なる自己紹介というものだ。

E.M.フォースターの「インドへの道」やD.H.ロレンスの「息子と恋人」、ジョーゼフ・ヘラーの「キャッチ=22」、あるいはジョージ・エリオットの「ミドルマーチ」、サッカレーの「虚栄の市」を読みたいが、いずれも長編なので手をつけにくい。

 

最近の仕事は低消費電力に向けた光デバイス新製品の設計に携わっている。よく考えれば当然のことだが、配線抵抗が0.1Ω変わるだけで消費電力がだいぶちがってくるのは驚きだ。これをきちんと考慮しないと最適な設計はできないにちがいない。
秋には消費電力特性に関する試作実験を控えているが、その際は配線抵抗を評価することも必要になってくる。どうしたら精度良く測定できるかを考えておいたほうがいい。大学の地味な物理学実験が役に立つときが来るとは・・・物理学専攻も捨てたもんじゃないだろう?

これからは読んだ本の内容の要約と所感を記録していくことにする。学生時代は数百冊の本を読んできたが、特に鮮烈な印象を与えた数十の文学を、そのかぐわしい薫香を大切に取り分けておくように記憶の棚にしまいこんでおくだけでは、これまで読んできた、そしてこれから読むであろう、記憶から消し去られる運命にある残りの数百の書物があまりにもったいないと思われる。

とりあえず「ドリアン・グレイの肖像」については書き留めたが、ゆうに2時間はかかってしまった。おざなりな読書録なら書かないほうがましだとはいえ、時間がかかりすぎては継続も難しかろう。

旭岳-トムラウシ山-十勝岳縦走

 

旭岳からトムラウシ山十勝岳を経て富良野岳まで縦走してきた。当初は3泊4日で15日に下山する予定だったが、帰りの航空便を17日に予約しており、別に急ぐ必要もなかったので、3日目の行程を2日に分けて4泊5日とした。
ほぼ同じ日程・コースで縦走をしている単独の女性登山者2名とは、すれ違ったりキャンプ地・小屋で宿泊する際にいろいろお話する機会があった。初めての北海道の山でヒグマに遭遇する不安に押しつぶされそうになりながらも、悪天のなか山行を続けることができたのは、彼女たちが自分と同じ登山道を歩いていると思うことで勇気が与えられたからにちがいない。

正直言うと、俺はこの縦走をするまで、旭岳から十勝岳まで縦走するような変人は多くても年間10人かそこらだろうと、秘かに悦に入っていたのだ。ところが、俺と同じように単独でこのような縦走をする女性や、行き交う長期縦走の登山者に出会って、いかに自分が自惚れていたかを思い知らされた。彼女たちの山登りへの熱情と、一日12時間以上行動する根性(俺には無理だ)を目の当たりにして、さらに壮絶な山登りを目指してみたいと素直に思うようになった。彼女たちには感謝している。ありがとう。

 

この旅ではオスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」、「トルストイ民話集」、そしてジョージ・オーウェル「パリ・ロンドン放浪記」を読んだ。