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思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

俺が女性を一度好きになると、理想的な端正さから彼女の顔立ちが逸脱していることさえも、俺の目には自然の采配が成しとげた完璧な調和のように映る。さながら、職人が石版を彫りきざむことで、古代ギリシアの女性が身につけるキトンの艶やかな悠然さをレリーフに吹きこむように、視覚によって、女性の顔つきのうえにこの地上では二度と再現不可能な美が彫琢され、いきいきと羽ばたく。

それらを視覚が受け取り、視覚がみずからを鍛えあげるかのように見ることを徐々に学び始めるとき、顔面の歪みは春になって大地に蒔かれた種のように感覚の内部で異化を萌芽させ、地中深くでゆっくりと成熟し、ついには見出された美となる。それが、他の誰でもないまさにこの私が見出した美なのだということに気づくとき、私は私の感覚の新鮮さと素晴らしい炯眼ぶりに有頂天になり、そして自分がその人に恋い焦がれていることを知るのである。

この感覚は日々の欠かさぬ鍛錬によって維持される筋肉のようなもので、学ばれた視覚によってこの目で見ることをやめてしまうと、花開いた視覚は途端にやせ細ってしぼんでしまう。日常で会う機会がなくなったり、意識して見つめることをやめてしまうと、その女性のどこに虜になっていたのか、自分で思い出せなくなるのである。ところが、毎日くり返し見つめ続けていると、まさに反対のことが起きる。果てしなく鍛え上げられた感覚が女性の顔立ちのうえに実現する澄明な均衡は、美すら超越するかのようだ。それは月並みなウェルメイドの美しさではない、この網膜に飛びこんでくるたびに上演される奇跡の祭典である。太陽に溶け合う海にランボーが永遠を見出したように、俺は女性の顔立ちに澄みわたる世界に溶け合う詩情を見出す。