思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

裏銀座縦走

 

裏銀座縦走を無事にやりおおせることができた。烏帽子小屋、野口五郎岳鷲羽岳、双六岳を経て、双六小屋から新穂高温泉にくだる2泊3日の山行である。事前に準備した登山計画書通りに山行を成し遂げたことが一番の喜びだ。それは自分の山登りの体力や実力をわきまえることができていたという証拠であり、実力を発揮できたという証明でもあるのだ。

 

山行3日目、鏡平山荘からわさび平小屋へとくだる小池新道で、トレイルランのようにほとんど走りながら下山した。小池新道を登ってくる登山者とすれ違う際には、一旦立ち止まって譲ることをできるだけ心がけた。また、先行する登山者に追いついた際には、走るのをやめて通常の速度で歩き、相手を急かしたり勝手に追い抜くことは避けて、細心の注意を払うことを忘れなかった。とはいえ、ものすごい勢いで駆け下りてきた私に、道をゆずらなければならないとプレッシャーを感じてしまい、不快を覚えた登山者もいらっしゃったかもしれない。これに関しては本当に申し訳なく思う。

 

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俺は山に登るたびに、俺を慣習やジェンダーによってがんじがらめにして、服を着た惨めな家畜にしてしまう社会の規定や定義から解き放たれて、ただあふれる熱情の喜びのみによって人生を汲みつくすことができるように感じるのだ。この思いを何よりも代弁するとともに、「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャやイワン、「罪と罰」のラスコーリニコフ、そして「悪霊」のスタヴローギンやキリーロフらと取り結ぶ連帯の意識を鼓舞させ、そのたびに身体に流れる血を熱くたぎらせるのは、バフチンの「ドストエフスキー詩学」の一節にちがいない。

定義のすべては彼が自分で把握しているものであり、そして彼自身がそれを意識しているという理由によって、どんな定義も彼を完全に規定することができないと理解している 

己れを外見だけで決めつけようとするあらゆる定義を内側から突き破って、それを虚偽としてしまうような自分自身の可能性を感じている