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思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

二六時中不安に追いかけられている。情ないほど落ちつけない。しまいには世の中で自分ほど修養のできていない気の毒な人間はあるまいと思う。そういう時に、電車の中やなにかで、ふと眼を上げて向う側を見ると、いかにも苦のなさそうな顔に出っ食わす事がある。自分の眼が、ひとたびその邪念の萌さないぽかんとした顔に注ぐ瞬間に、僕はしみじみ嬉しいという刺戟を総身に受ける。僕の心は旱魃に枯れかかった稲の穂が膏雨を得たように蘇える。同時にその顔――何も考えていない、全く落ちつき払ったその顔が、大変気高く見える。眼が下っていても、鼻が低くっても、雑作はどうあろうとも、非常に気高く見える。僕はほとんど宗教心に近い敬虔の念をもって、その顔の前に跪ずいて感謝の意を表したくなる。――夏目漱石「行人」

 

他者の顔面がときとして、三十三間堂に納められている木造の二十八部衆を思わせるような崇高な気高さに満ちみちているので、俺はその高貴な凛々しさにひれ伏したくなるような衝動さえ覚える。その途端に、俺の身体の動きは、こちらがただ見ているだけでも申し訳なくなるほどのどもりにも似た、惨めに挫折した動きにならぬ動きとなり、俺の口が発する言葉は空中に投げ出される前に口の中でことごとく無残に腐れ落ちる。