思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

また大学生が雪山で死んだ。昨年の穂高立山、今年に入って阿弥陀岳、そして今度は木曽駒だ。彼らは経験も体力も兼ね合わせていて、つちかってきた実力のすべてを尽くして死んでいったにちがいないのだが、ただ死んだというだけで、いっさいの自分の言葉を失って、かれらが山を登るときに感じる衝迫もろとも、その存在が見も知らぬ他人の言葉の中に永遠に埋もれることになったのだ。

死ぬことは、舌を切り落とされて口の中に塩袋を詰めこまれた唖の奴隷のように、他人の言葉を口の中に詰めこまれて二度と何も話せなくなるのを甘受することだ。こんな恥辱が他にあるか?