思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

ボルダリングについて。最近になって3級課題をひとつ登ることができたが、傾斜が135°やルーフになると5級が登れないのは相変わらず。なんだか自分が正しいやり方で登れているのか、分からなくなってくる。ボルダリングを始めて2ヶ月で6級から3級まで来たわけだが、本当に上達しているのだろうか? 各課題の手や足のかけ方を暗記しているだけという気もするが。

「インターステラー」愛情と使命感の二項対立

インターステラー」を観た。未来の五次元人やらワームホールの実在性やらタイムパラドックスやらのSF設定はひとまず置いといて、「家族への愛」と「人類救済の使命感」という二つの感情の対立・呻吟の物語として映画を読み解いてみると、いろいろな発見があるかもしれない。たとえば、ラストにおける父娘の再会シーンに象徴されるように、ここでは前者が勝利を収めるものとして称揚され、後者の堕落した成れの果てがマン博士という人物とその惨めな最期に仮託されているように見える。

しかし、人類救済プロジェクトの完遂を可能にさせる家族愛が、実はブランド教授の高邁な使命感と配慮に支えられていたことを指摘することには意義がある。教授は地球に残されている人類を移住させるプランが到底実現できないであろうことを見越しつつも、優秀なパイロットたちの希望を失わせないためにそのことを故意に隠していた。教授は必ずしも家族愛からプロジェクトを推進していたわけではなかった。しかし、プロジェクトの鍵を握るのはパイロットたちであり、かれらに家族愛の夢を見させておくことがプロジェクトを完遂させるひとつの希望であることを知っていたのだ。この意味で、家族愛は単に使命感に優越するものではなく、使命感に先立たれ、それによって可能となるものである。

計画の推進者であるマン博士もまた、当初はブランド教授と同様に救済の使命感を捧げもっていたはずである。しかしかれは極限の状況下で孤独と自己顕示欲の誘惑に敗北してエゴを選び取り、仲間を裏切ることになる。家族のいないかれが普遍的な人類愛すら拠り所とすることができなくなったとき、かれに待ち受けるのは永遠の冬眠か、さもなければ破滅と死だけだったのだ。

 

 

 ディラン・トマスの詩”Do not go gentle into that good night”と結びつけてあれこれ考察することもできるかと思ったが、なかなかまとまらないので諦めた。というかブランド教授は娘をパイロットとして宇宙に送りこんでいることは、かれもまた家族への愛情を支えにプロジェクトを企画していたことをうかがわせるのではないか? ・・・

映画「灼熱の魂」と古代ギリシア悲劇

「灼熱の魂」を観た。「オイディプス王」を彷彿とさせる、一見するといかにもウェルメイドなストーリーではある。しかし、ギリシア悲劇を下敷きにしつつ、レバノン出身のとあるディアスポラの家族へと移し替えて、いかに怒りの連鎖を断ち切って人々がともに生きることができるかという現代的なテーマにつなげていることに成功している。

古代ギリシア悲劇では、夫であるオイディプスが実の息子であったと知らされたイオカステは、絶望と恥辱から自殺する。オイディプスとイオカステのあいだのふたりの息子(ポリュネイケスとエテオクレス)は、国土から追放される父オイディプスの苦しみに寄り添うことなくかれを見放した結果、王権をめぐって相争い、殺し合う運命となるようオイディプスから呪いをかけられる。オイディプスとイオカステのあいだには娘がふたりおり、彼女らは父オイディプスとともに放浪のたびに付き添う。のちにふたりの息子たちはたがいに刺し違えて果てることになるが、ポリュネイケスの遺骸は弔いを禁じられ、地に投げ捨てられたままとなる。娘のひとりアンティゴネはこれを嘆き、抗議のために首を吊って自死する。古代ギリシア悲劇のこのような呪いの連環を、俺は過去に次のように言い表した。

劇中における神話上の人物は、呪いの連環を閉じてしまおうとする試みそれ自体が呪いを招くような、陰惨な運命の大きな輪のもとに囚われている。みずからが正義を担っていると確信しているときでさえ、止めどなく湧き上がる抑えがたい義憤が煙のように人間の分別を覆い隠して、かれらは呪いの応酬にひとつの清算をもたらす望みに盲目となってしまう。そして、このどす黒い憤怒の情こそが、神々への敬虔な贖いであったはずの行為を忌まわしい呪いへと変質させるのだ。

ここでは呪いと怒りの連鎖はとどまることがなく、果てしなく血が流されていく。

「灼熱の魂」では、ナワル・マルワンはイオカステに対応している。しかし、現実の過酷さとナワルに与えられる苦しみはイオカステのそれの比ではないばかりでなく、イオカステと異なり、ナワルはこの物語で自殺することも許されない。それは彼女が決してめげることのない強い精神をもち、言葉と書物と愛の力を信じる女性だからである。彼女は自分が発端となったこの悲劇、ゴルディアスの結び目を自死によって彼岸の彼方に忘却しようとは思わなかった。だから彼女は遺書と手紙を息子や娘に託したのだ。約束が守られぬ限り埋葬をこばむことは、残された双子たちがアンティゴネのような良心と死者への敬虔を持ち合わせていることへの彼女なりの賭けである。彼女は血と苦しみの連鎖を断つためにみずからポリュネイケスとなることをいとわなかった。

ナワルとその息子、娘たちは故郷を逃げ出し、故郷から迎え入れられることもない。そして、歪んだ血縁関係を一生背負いつつ、異国の地で生きていかなければならない。二重に追放されたかれらディアスポラは、オイディプスのように、容赦ない現実に翻弄され、踏みつぶされる。しかし、賢明なナワルは、自分を苦しめた現実に呪いをかけるのではなく、愛情の手紙を残すことを選んだ。これらの意味で、ナワルは愛に満ちたオイディプスであり、献身的なポリュネイケスであると同時に、勇気あるイオカステなのだ。

これまでで、ボルダリングの4級課題に合計6つ登ることができた。スラブの3級課題に挑戦するが、いまいち登り方が分からない。ただ、初めて4級に挑戦したときのように手も足も出ないという感じではない。この調子で3級に行けるかな?