思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

「野火」で好きな台詞

田村一等兵、これよりただちに病院に赴き、入院を許可されない場合は自決いたします

 大岡昇平の同名の小説を原作とした映画「野火」で、田村が魂の抜け殻のように語る言葉である。田村はこのときすでに、自分がまだ死んでいないことに確信をもてないのと同じくらいに、自分がこの世界に生きていないことにも確信をもつことができないのだ。

この言葉がいっさいの感情と抑揚を削ぎ落とされて語られるとき、われわれが自分たちの生きていることを信じていられるのは、「生きている」という観念をこの世界に甘えさせることが許されているからだということがほのかに示唆される。われわれは、たとえこの世界が冷然と構えてわれわれをそっけなく突き放すように見えても、本当のところは、慈愛にあふれた視線を忘れず、最終的にわれわれに対して和解の道を提示することにやぶさかではないということを確信している。ところが戦争は、血と飢えに満ちたむごたらしい地上戦は、その確信すらずたずたに引き裂いてしまう俺が田村のこの台詞を好むのは、この世界をいつもの馴染み深いものにして共依存の道に引きこむ、世界に対するわれわれのいやらしい期待をみごとに打ち砕いて、世界を本来のものに建て直してくれるからだ。

これまで使ってきた登山用の寝袋はあまりに安物で、夏でも夜になると冷気が身体にしみこんで来てガクガク震えていた。秋になると寒さのあまり3時間も眠れないということはザラにあった。これでは、とてもじゃないが冬山テント泊はできない。そこで、アルパインダウンハガー800#1を新しく買った。温度帯は、リミット温度が-10度、コンフォート温度が-4度とある。これは、-10度までなら(寒いだろうが)死ぬことはない、そして-4度までならば快適に眠れるということを表しているらしい。

俺はこの寝袋を夏山にももっていくつもりだ。もうテントの中で寒い思いはしたくないし、暑ければ脱げばいい。今年の夏は北海道で縦走登山をしたいので、念には念を入れておきたい。

 

会社の先輩から、「いま打ち合わせの主催者は君になっているけど、君のやり方では状況と課題についていける人がどんどん少なくなり、結果として仕事を全部自分が抱えこむことになってしまうよ」と忠告をいただいた。確かにそのとおりだ。しかし、なぜ新人の俺がいつの間にか主催者になってしまっているのだろうか? なんでこんなことになってるんだっけ?

意味論的なホーリズム、あるいは工場のトラブルは開花することについて

製造ラインにある測定装置の不具合が起きて、復帰させるための対応で試行錯誤した。それでも装置を復帰させることができなかったので、ベテランの先輩の助けを借りて修復してもらった。しかし、俺がひとりで試行錯誤していたときに測定の設定を変えたままにしていたために、2日間の現場の作業の一部が無駄になってしまった。これが現場で問題視されて、俺を含めた担当スタッフが再発防止対策書、要するに始末書を書かされることになった。もともとの装置の不具合は、俺のOJTの先輩が試作品評価のために前日に使ったことが原因で起きたと思われる。作業者も作業長も俺も、おそらく先輩本人でさえ、うすうすこのことに気づいているだろうが、今となっては誰にも確かめられない。

この場合、もっとも重大なミスをしたのは誰かと追及することは無理だし、そんなことは不毛に思われる。このトラブルは以下のように、いろんな人の軽率が積み重なって生じたもので、水をやってゆっくりと成長させ、見事に花を咲かせた植木鉢の植物のようなものなのだ。水やりを毎日してついに開いた花を見て、これは何月何日に水をやったおかげだと言う人がいるだろうか?

1. 試作品の評価が終わったあと、OJTの先輩が標準サンプルを測定して異常がないことを確認していなかった

2. 作業前に標準サンプルを測定して、異常がないことを作業者が確認していなかった

3. 俺が測定系の設定を変えたあと、もとに戻すのを忘れていた

もちろんトラブル発生の決定打は俺である。だが、俺が測定系の設定を変えなかったとしても、俺に測定系の設定を変えさせた状況は変わらずそこにあったのだ。そして、設定をもとに戻さなかった状況もまた同様であろう。

 

これはクワインが言うところの、すぐれて意味論的なホーリズムである。厳密には、ミスと呼ぶべき行為は工場には存在しない。あるのは、設備状況とそれに対する一連の規定作業という相補的なコンテクストの総体と、そこに埋めこまれたわれわれ工場労働者の応答だけである。トラブルが起きたとき、全体の文脈と不和を起こしていると解釈される作業がミスと名づけられるが、これは事後的な処置にすぎない。焦点を合わせるべきなのは個人の作業ミスではなく、工場を成立させるコンテクストの相補性がいかにして毀損されたのか、そして、相補性が失われたコンテクストを前にして、作業者がどのような応答を示したかという二点であろう。

ベンチプレスで持ち上げられる重さが、ちょうど自重に等しい55キロに達したところで一進一退し、成長しなくなった。年度末までに70キロを目指していたが、かなり厳しい。

室内ウォーキングの歩荷であれば、30キロの負荷では大したことがない。歩く速度は遅くなるが、おそらく40キロまではいける。50キロを背負えるようになりたい。

 

ネット上の山行記録を参考に、大菩薩嶺から滝子山まで縦走することを考えるが、この時期に駅での前夜泊はつらかろう。テント泊をするにも、防寒のための装備が十分でない。馬鹿みたいに重ね着すれば解決する問題だろうか? そうも思えない。冬季用のシュラフを新しく買う必要がある。また出費かよ~~