思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

火曜日はボルダリングジムに行ってきた。5級課題を2つ、4級課題を1つクリアすることができた。だが、あまり上達している感覚はなく落ちこんでいる。というのも傾斜が135度以上あるとまったく歯が立たず、6級が登れず、調子のいいときになんとか7級がクリアできる程度なのだ。これは保持力が弱いせいからだろう。筋肉がないとどうしようもない。

 

今週末に妙高山から雨飾山まで縦走する計画を立てる。どっさり雪が降ってあっさり遭難死するんちゃうかこれ。

 

日本に研修に来ているタイ人のKはなぜ俺に対してあんなにフレンドリーなのだろう。俺はどぎまぎするばかりで愛想のいい返事すらできないのがもどかしい。

今日はボルダリングジムに行ってきた。5級課題にいくつか挑戦して、ひとつクリアすることができた。残りはぎりぎりクリアすることはできなかったが、次はできそう。

 

その男ゾルバ」を読んだ。ジェイン・オースティン「説得」を読む。

 

最近はGorillazとCaravan Palaceの音楽をよく聴いている。こんな変わった曲が好きだったのかと自分でも不思議に思う。

グルーのパラドックスが未だに理解できていないので、「科学哲学の冒険」を読み直している。

反実在論における操作主義や道具主義と、対象実在論のちがいがよくわからなくなってしまった。頭が痛い。

 

ねじ固定による製品のひずみの解析評価は、課長いわく、現在発生している問題についての顧客への説明のために重要らしい。この一週間、Solidworks Simulationを用いた静解析に取り組んできて、完全など素人の状態から少し進展が見えてきた。大雑把な評価からさらに進んで、ある程度現実を反映させたシミュレーションをおこなうには、課題が3つある。まず、手元にある3Dモデルのエラーを修復して、図面に記載されている寸法に合わせること。次にねじ止めされている箇所、はんだ付けされている箇所を妥当な拘束条件のもとで固定すること。そしてより現実により近い圧力分布を再現できるように、 グランドを作ること。

タイ人の断絶

SolidWorksの静解析を急ぎでしてほしいといきなり課長に依頼されて、てんてこ舞いである。

 

タイ工場のスタッフはみんなスマホをもっているし、20代で車を所有しているものもいる。タイ人Nがlineで部屋の画像を送ってくることがあるが、彼女の部屋にはおそろしくでかい液晶ディスプレイがあった。また、日本ではそこそこ値段のする小さなかわいらしいフィギュアが棚にたくさん飾られていた。かれらの生活ぶりを推測する限り、日本の同年代の若者と生活水準はさほど変わらないように思える。彼女たちは工業化著しい新興国におけるホワイトカラーであり、典型的な新中間層である。ところが、ひとたび夜の街に目を向けると、そこには売春のために店先でたむろっている若い女性が大勢いる。タイに出張したとき、カラオケ店で彼女らのひとりと話したのだった。幼いころに両親が離婚して、いまは母親を養うために風俗ではたらいているとのことだった。彼女たちは風俗店での賃金だけでは暮らしていけないので、タイでは本来違法でありながら慣習的となっている、個人契約というかたちでの売春をして日銭を稼ごうとしているのだ。

タイ人は家族を養うことを当然積むべき善行と考える傾向が強いため、職業選択の自由はこの道徳観を前にある程度犠牲にされている可能性はある。にも関わらず、アユタヤというひとつの街をのぞくだけでもうかがえる、タイの人びとの暮らしぶりのこうした断絶はなかなか理解しがたい。

ボルダリングでかかとをひっかけて登る技術を覚えた。新しい課題に2つ登れたことはいいが、右手を思い切りホールドに打ちつけてじんじん痛む。

疲れてしまった後でも、優しい課題に登り続けて筋肉がパンプするまで追いこまないと筋力はつかないかもしれない。6級卒業まであと一息。

カザンザキスその男ゾルバ」を読む。古代クレタ人の心の中に生きていた叙事詩や口承伝説が、クノッソス宮殿の優美な壁画や陶器に命を吹きこむと同時に、クレタの栄枯の歴史の断片がミノス王の物語やミノタウロス神話へとやがて受け継がれる。ちょうどそのように、俺の人生とかつて読んだ小説たちが、さながら考古学的な史実と神話の一節のような、密やかで美しい象徴と照応の関係を保つように。

最近はずっと雨が降っていたので山に行く気が起きなかったが、来週末は台風も過ぎて晴れることだろう。有給をとって山に行こうかな。

 

ボルダリングは相変わらず6級。5級はごく一部の課題しか登れない。だがジムに通うたびに登れる課題が増えていく。素晴らしい上達速度だ。