思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

タイ人らと社員寮のホームシアターで映画を観ることになったので、タイのベストヒット映画「すれ違いのダイアリー」を選んだ。いいとは思うが、全体的に安直である。2人が会わないで終わる方がまだ詩的で良かったかもしれない。

タイ人は恋人と一週間会わないと別れることを考えるらしい。これには驚いた。

他人の評価を考慮に入れておく必要がある限りにおいて、仕事というものにクソの価値もない。

いや、これは精確ではない。俺は、作業の単純な面白さや、順調に進んでいることの喜びなど、なんでもいいが他人の評価とは別の基準に寄り添いたいだけなのだ。評価は与えられないにこしたことはないが、少なくとも付属的なものであってほしい。どんな評価であろうと、それ自体はなんのモチベーションにもならない。

俺の孤独が誰のものであるか

山に登り、縦走を完遂させるときにひそかに発揮されていた原動力が、人と交わることで毀損されて俺の足が鉛のように重くなることを怖れる。他者と交わっていようがいまいが俺が孤独であることに変わりはないが、他者が俺を不安の滝壺に落としこむのは、俺の孤独をかれら、彼女らが奪い去って、二本の足で立っている大地の感触を根こそぎにしてしまうからだ。

タイ人の愛想の良さにほだされて、俺はつくづく馬鹿な男だ。『アブサロム、アブサロム!』のウォッシュ・ジョーンズを、『審判』のヨーゼフ・Kを、『追放と王国』の背教者を思い出せ。苦痛と恥辱の鞭でこの身体をびしゃびしゃに叩きつけて、孤独の感情を学び直せ。

まだ帰国せずに日本の事業所で働いているタイ人女性から、タイのお菓子を買ってきたから一緒に食べないかと誘われて、社員寮の食堂で一時間半ほど話す。

タイに帰国したKとはもうlineすることはほとんどないだろうと思いきや、今日はものすごい頻度で話しかけてきた。

彼女たちの人懐っこさには面食らう。寂しがり屋というよりも、他人と時間を共有することをごく自然なことと考えているようだ。それはタイ人が家族を重視していて、日本のように社会人になっても一人暮らしすることがあまりないことと関係があるのかもしれない。