思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

キートンの大列車追跡」「グランド・ブダペスト・ホテル」「セッション」を観た。

 

「セッション」のラストは強烈だが、フレッチャーの心情の読み取りようによって解釈がコロコロ変わってしまう映画だ。早朝6時の約束、楽譜の紛失、フレッチャーの故意の反故といったいくつかのエピソードは、映画を観るものに対して彼の真意を覆い隠し、解釈を分裂させる役目を果たしているが、おそらくはそれこそがこれらのエピソードの挿入された目的であろう。そうであるならば、映画の結末が、経緯がどうであれフレッチャーとニーマンが望んでいた最良のものであるか、あるいは、ふたりの歪んだ人間たちが引き起こした、ひどく独りよがりなハプニングにすぎなかったのかと問うことには正統な意味がある。そして、この疑問に漂流させられて行き着くのは、才能の不確かさ、あるいは不可視性というもう一つのテーマなのだ。