思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

文書の中で望み通りの位置に図がうまく出力されないという困難はtexの厄介さのひとつではあるが、それは位置指定オプションに[htbp]を使うからいけないんであって、usepackage{here}と[H]オプションを使って強制的に位置関係を保たせればいいんである。こうすると区切りのいいところで改ページしてくれる。

 

憲法9条に関しては、閣議決定で解釈変更するのではなく、憲法改正を発議して国民投票に持ちこむこともできただろうし、実際、昨今の世論のもとでならば十分可能だったはずであろう。にも関わらず、それほど危急の迫った議案とも思われない9条に関して、批判が巻き起こることが容易に予測される形で解釈変更を手っ取り早く済ましてしまいたかった理由がよくわからない。一方で、9条を堅持する日本国民に対するノーベル平和賞受賞を求める運動にしても、その価値を9条がこの70年のあいだ現実に果たしてきた機能と所産にではなく、そこに込められた平和への願いにあるとしているのが気になる。事実、「憲法9条ノーベル平和賞を」実行委員会は、運用に関しては『積極的に憲法を活かすまでには至っていない』と後ろ向きな評価をくだしているのである。これら双極の妙にまわりくどい動きに何か共通点があるとすれば、それは、9条の運用と方針に関する議論を忌避するか、もしくは可能な限り封じこめたまま、是非をいわさぬ状況へ持ちこんでしまおうとする意向ではないだろうか。ただ、9条に関しては、自衛隊PKO派遣や、多国籍軍への参加など、つねに現実の運用が議論と解釈を追いこして、そのたびに国民と憲法の理想的な関係に基づいた議論が風化されてきた背景を無視することはできない。この20年あまりのあいだに繰り返されてきたなし崩しのなかでは、9条に明記してある内容はほとんど問題とされず、あったのは政権と9条とのあいだではたらく慣性の法則だけだった。