5月11日に谷川岳一ノ倉沢の衝立岩ダイレクトカンテルート、翌5月12日に烏帽子沢奥壁中央カンテルートを登攀してきた。人工登攀のクラシックルートであるダイレクトカンテを登り、今日におけるクライミングについて思うところがあったので書き留めてみたい。
人工登攀やアメリカンエイドのスタイルが流行った時期も昔はあったそうだが、少なくとも近年はフリークライミング全盛の時代が続いており、それは昨今のアルパインクライミングのあり方にも多大な影響を与えている。つまり、可能な限りフリーで、かつ残置支点に頼らずにすべてのプロテクションをみずからセット・回収しながら登るトラッドのスタイルに価値を見出そうとする姿勢のことだ。人工登攀というのはどうしても既成の残置支点に頼りがちになり、そうなると岩壁の形状もホールドも何もかも無視して、ただアブミを掛けかえていくだけで登ってしまうことになりかねない。岩登りの本来のあり方を見直そうとするとき、トラッドフリーというのはひとつの有力な方法となる。
しかし逆に言うと、このスタイルはプロテクションの取れるようなルートだけを登攀の対象として、そうでないものを登攀の可能性から安易に除外することになる。たとえば節理の発達した花崗岩の岩場や、氷雪に覆われたルンゼにおいてナチュラルプロテクションを取ることは容易だろうが、リスに乏しい石英閃緑岩や石灰岩の岩壁において、トラッドフリーを貫くことは難しいばかりでなくたいへんな危険をともなうものとなる。冬期クライミングのガイドブックにおいて紹介されているルートに前者の割合が圧倒的に多いのは、後者のようなルートが通常はトラッドフリークライミングの対象とみなされないからだろう。このことは、今日におけるクライミングを考えるうえで、二つの意味で示唆的であると感じる。
第一に、トラッドフリーというあり方に多かれ少なかれこだわろうとするとき、アルパインクライミングにおけるライン取りは登攀道具の性質とデザインに決定的な制約を受けるということだ。カムやナッツが岩に走ったクラックや節理に嵌めこみ、アイススクリューが厚みのある氷に捩じこんで使用するものである以上、節理や氷のあるラインが登攀の対象として選ばれ、そうでないラインは埒外に置かれる。また、極小のホールドしかない岩壁や大ハング帯をアイゼンとアックスを使ってフリーで登ることはきわめて困難であろうから、こうしたラインも登攀の対象外となるだろう。ここでは現実的にフリーで登れる程度の、適度に易しいラインだけが候補になるわけだ。自然の形状に即したナチュラルで自由なラインと呼べば聞こえはいいが、その実は登攀の可能性を規定し、ラインを決めているのはプロテクションや装備のデザインであってクライマーではない。将来的にまったく新しい種類の登攀具が登場すれば、それは既成のルート、あるいはある種のクライミングスタイルさえまったく過去の遺物にしてしまうかもしれない。
第二に、クライミングをするうえでわれわれは社会的に合意可能なリスク許容度に縛りつけられているということだ。安全にクライミングを楽しもうとするならば、怪我や事故のリスクを可能な限り抑えようとすることは当然の配慮ではあるが、リスク許容度というものは曖昧で、時代や国、社会制度によって大きく異なるものでもある。たとえば19世紀のイギリスでは腰に荒縄をくくりつけ、小石をナッツ代わりに使って岩登りをしていたという(これがまさにクライミングの発祥だ)。一方で現代ではクライミングの大衆化が進み、マットの敷かれたボルダリングしかやらないというクライマーも多い。こうした事情は、クライミングの主な担い手の感じるリスク許容度が時代によって大きく異なり、それがクライミングのメインシーンを規定していることをわかりやすく示している。リスク許容度の範囲内であればそのルートは登攀対象になり得るが、許容度を超え出るものは対象から外れるという意味で、時代を超えた普遍的なラインがあるわけではない。社会や個人の許容できるリスクが時代とともに変遷する以上、あるクライミングのスタイルが法的に禁止されたり、ロープを使ったクライミングそのものが社会的に受け容れられなくなる可能性もあるかもしれない。
これらの指摘がクライミングの成り立ちについて何かしらの洞察を示唆しているとすれば、それは冒険性とリスクを天秤にかけて得られた妥協という側面にあるのではない。そうではなく、クライミングが登攀道具の技術・リスク許容度といった社会的な制約を受けながら成立するものであり、いわば人間のエゴを自然に対してぶつけたときに生じるひとつの干渉縞であるということだ。トラッドやフリーやスタイルというものはクライマー側の個人的・社会的な都合に過ぎない。にもかかわらず、ある特定のスタイルを「より根源的、よりナチュラル、より自由」と称揚するのはあまりにおこがましいのではないか。