思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

小川山 イムジン河を登った

5月18日-19日に小川山へフリークライミングしに行った。そのときの成果は以下の通り。イムジン河をワンデイで完登した。トラッドの最高グレードを5.11dに更新できた。

 

【殿様岩】

イムジン河 (5.11d)=3便目でレッドポイント

予期せぬプレゼント (5.10a)=オンサイト

 

【兄岩】

ピクニクラ (5.10c)=オンサイト

めおとクラック (5.11d)=1年ぶりにトライするが、トップアウトできず途中敗退。昨年はムーブをばらしてトップアウトできたのになんでや・・・

森の緑にかこまれて (5.11b)=3年ぶりにトライしてレッドポイント

アルパイン少女マミ (5.12a)=トップアウトできず途中敗退

谷川岳一ノ倉沢衝立岩ダイレクトカンテ・烏帽子沢奥壁中央カンテ

5月11日に谷川岳一ノ倉沢の衝立岩ダイレクトカンテルート、翌5月12日に烏帽子沢奥壁中央カンテルートを登攀してきた。人工登攀のクラシックルートであるダイレクトカンテを登り、今日におけるクライミングについて思うところがあったので書き留めてみたい。

 

人工登攀アメリカンエイドのスタイルが流行った時期も昔はあったそうだが、少なくとも近年はフリークライミング全盛の時代が続いており、それは昨今のアルパインライミングのあり方にも多大な影響を与えている。つまり、可能な限りフリーで、かつ残置支点に頼らずにすべてのプロテクションをみずからセット・回収しながら登るトラッドのスタイルに価値を見出そうとする姿勢のことだ。人工登攀というのはどうしても既成の残置支点に頼りがちになり、そうなると岩壁の形状もホールドも何もかも無視して、ただアブミを掛けかえていくだけで登ってしまうことになりかねない。岩登りの本来のあり方を見直そうとするとき、トラッドフリーというのはひとつの有力な方法となる。

しかし逆に言うと、このスタイルはプロテクションの取れるようなルートだけを登攀の対象として、そうでないものを登攀の可能性から安易に除外することになる。たとえば節理の発達した花崗岩の岩場や、氷雪に覆われたルンゼにおいてナチュラルプロテクションを取ることは容易だろうが、リスに乏しい石英閃緑岩や石灰岩の岩壁において、トラッドフリーを貫くことは難しいばかりでなくたいへんな危険をともなうものとなる。冬期クライミングのガイドブックにおいて紹介されているルートに前者の割合が圧倒的に多いのは、後者のようなルートが通常はトラッドフリークライミングの対象とみなされないからだろう。このことは、今日におけるクライミングを考えるうえで、二つの意味で示唆的であると感じる。

第一に、トラッドフリーというあり方に多かれ少なかれこだわろうとするとき、アルパインライミングにおけるライン取りは登攀道具の性質とデザインに決定的な制約を受けるということだ。カムやナッツが岩に走ったクラックや節理に嵌めこみ、アイススクリューが厚みのある氷に捩じこんで使用するものである以上、節理や氷のあるラインが登攀の対象として選ばれ、そうでないラインは埒外に置かれる。また、極小のホールドしかない岩壁や大ハング帯をアイゼンとアックスを使ってフリーで登ることはきわめて困難であろうから、こうしたラインも登攀の対象外となるだろう。ここでは現実的にフリーで登れる程度の、適度に易しいラインだけが候補になるわけだ。自然の形状に即したナチュラルで自由なラインと呼べば聞こえはいいが、その実は登攀の可能性を規定し、ラインを決めているのはプロテクションや装備のデザインであってクライマーではない。将来的にまったく新しい種類の登攀具が登場すれば、それは既成のルート、あるいはある種のクライミングスタイルさえまったく過去の遺物にしてしまうかもしれない。

第二に、クライミングをするうえでわれわれは社会的に合意可能なリスク許容度に縛りつけられているということだ。安全にクライミングを楽しもうとするならば、怪我や事故のリスクを可能な限り抑えようとすることは当然の配慮ではあるが、リスク許容度というものは曖昧で、時代や国、社会制度によって大きく異なるものでもある。たとえば19世紀のイギリスでは腰に荒縄をくくりつけ、小石をナッツ代わりに使って岩登りをしていたという(これがまさにクライミングの発祥だ)。一方で現代ではクライミングの大衆化が進み、マットの敷かれたボルダリングしかやらないというクライマーも多い。こうした事情は、クライミングの主な担い手の感じるリスク許容度が時代によって大きく異なり、それがクライミングのメインシーンを規定していることをわかりやすく示している。リスク許容度の範囲内であればそのルートは登攀対象になり得るが、許容度を超え出るものは対象から外れるという意味で、時代を超えた普遍的なラインがあるわけではない。社会や個人の許容できるリスクが時代とともに変遷する以上、あるクライミングのスタイルが法的に禁止されたり、ロープを使ったクライミングそのものが社会的に受け容れられなくなる可能性もあるかもしれない。

これらの指摘がクライミングの成り立ちについて何かしらの洞察を示唆しているとすれば、それは冒険性とリスクを天秤にかけて得られた妥協という側面にあるのではない。そうではなく、クライミングが登攀道具の技術・リスク許容度といった社会的な制約を受けながら成立するものであり、いわば人間のエゴを自然に対してぶつけたときに生じるひとつの干渉縞であるということだ。トラッドやフリーやスタイルというものはクライマー側の個人的・社会的な都合に過ぎない。にもかかわらず、ある特定のスタイルを「より根源的、よりナチュラル、より自由」と称揚するのはあまりにおこがましいのではないか。

 

赤沢岳北西壁中央稜・スバリ岳西尾根主稜

5月3-5日にかけて後立山連峰にある赤沢岳・スバリ岳周辺の岩場へクライミングしに行ってきた。まだ残雪期だから冬期登攀になるかと張り切っていたのだが、稜線の西面はだいぶ雪解けが進んでおり、岩場には雪も氷もいっさいなかったので期せずして夏山の岩登りとなった。冬期クライミングの練習のつもりで北西壁中央稜はアイゼンで登ったが、素手+アイゼン登攀というのもコンセプトがあまりに不明瞭だと思い、スバリ岳西尾根では途中からアイゼンを外して冬靴のままで登攀した。アイゼンを着けずとも問題なく登れることがわかり、アイゼンの爪先をいたずらに摩耗させて損をした気分になった。またメルカリで売り飛ばして新品を買えばいいや。

次に赤沢岳の岩場を登るときは岩に氷雪が張りついている時期にしたいが、3月以前となると扇沢駅までの道路は開通していないだろうし、今回のように雪渓を登降するアプローチは使えないから相当たいへんだろう。気軽に行けるような山ではまったくない。

 

赤沢岳北西壁中央稜

スバリ岳西尾根主稜

瑞牆山の春うらら1p目を登った

4月28日-29日に瑞牆山の十一面岩末端壁へクライミングへ行ってきた。そのときの成果は以下の通り。本当に苦しかったが諦めずに挑戦し続けてよかった。

 

春うらら1p目 (5.11b)=2便目(通算5便目)でレッドポイント

アストロドーム (5.11a)=6便目でレッドポイント

ペガサス1p目 (5.10c)=2便目でレッドポイント

 

完登した5.11台のクラックルートは3月以降で4本となった。小川山のイムジン河など恐れるに足りない。

伊豆城山へマルチピッチクライミング(ブレードランナー・三日月ハングルート)

先週末に伊豆城山へマルチピッチクライミングをしてきた。4月20日に東壁の新しいルート・ブレードランナー(全6ピッチ)を登り、続いて南壁の三日月ハングルート(全5ピッチ)を継続登攀。そのあと余った時間で以下のショートルートを登った。

 

ハンドバイス (5.11d)=2便目でレッドポイント

ハートルート (5.11a)=3便目でレッドポイント

 

翌4月21日に南壁の黎明ルート(全3ピッチ)を登り、続いて静岡北嶺ルートへ継続しようとしたが、核心ピッチのフェースが砂と苔にまみれていて登れずに途中敗退。転じてトワイライトゾーンにトライするが、こちらの核心ピッチも砂と苔にまみれていて途中敗退。ほとんど登られていないから岩が自然に還りつつあるやんけ・・・勘弁してくれ・・・

 

今回あらためて感じたが、三日月ハングをはじめとしてエキスカーション、中央壁ダイレクトといった城山南壁のマルチピッチルートは途中にテラスがないので大休憩が取れないうえ、露出度の高いフェースが続くので精神的な負荷がなかなか高い。集中力を切らさずに登攀を継続するトレーニングには最適な岩場のひとつかもしれない。

 

漫画『孤高の人』 いい人ランキング

420 :底名無し沼さん:2011/10/31(月) 23:22:18.18
いい人ランキングを作ってみた

A:足立先生、大西先生
B:花ちゃん
C:建村、二宮、小堀
D:黒沢、白井、加瀬、福ちゃん、モモちゃん
E:新見、小松、国枝、宮本

 

 

 

うーん個人的には、黒沢と二宮と福ちゃんはB、新美はD、小松はFかな・・・