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思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

外秩父七峰縦走

 

会社の先輩や同期とともに外秩父七峰縦走ハイキング大会に参加して42キロ完歩することができた。参加人数が多すぎて、前半は登山道が渋滞していた。また、普段運動していない人にペースをあわせたので、20キロ地点まで行くのに8時間かかった。後半は完歩を目指すメンバーだけでハイキングを続行して、途中で走りつつ、3時間半でゴールにたどり着くことができた。

来週末は表・裏妙義縦走をすることを考えるが、俺にできるのだろうか。

 

 

小説「見えない人間」の作者あとがきで、ラルフ・エリスンはこう述べている。「肌の色を意識することを忘れるとき、ぼくたちは透明人間になってしまう」。少なくとも俺にとって、これは人種やマイノリティの問題にとどまるような、字義通りの箴言ではない。なにか人間の単独性とその尊厳に関わるような警句なのだ。

週末は秩父へ長距離ハイキング大会に参加する。

タイ人のことは忘れたまえ、お前の目標は何だ、単独で大雪山十勝岳連峰縦走を成し遂げることではないか。いったい、これ以上に価値のあることが今の俺にあるというのか?

タイ人らと社員寮のホームシアターで映画を観ることになったので、タイのベストヒット映画「すれ違いのダイアリー」を選んだ。いいとは思うが、全体的に安直である。2人が会わないで終わる方がまだ詩的で良かったかもしれない。

タイ人は恋人と一週間会わないと別れることを考えるらしい。これには驚いた。

他人の評価を考慮に入れておく必要がある限りにおいて、仕事というものにクソの価値もない。

いや、これは精確ではない。俺は、作業の単純な面白さや、順調に進んでいることの喜びなど、なんでもいいが他人の評価とは別の基準に寄り添いたいだけなのだ。評価は与えられないにこしたことはないが、少なくとも付属的なものであってほしい。どんな評価であろうと、それ自体はなんのモチベーションにもならない。

俺の孤独が誰のものであるか

山に登り、縦走を完遂させるときにひそかに発揮されていた原動力が、人と交わることで毀損されて俺の足が鉛のように重くなることを怖れる。他者と交わっていようがいまいが俺が孤独であることに変わりはないが、他者が俺を不安の滝壺に落としこむのは、俺の孤独をかれら、彼女らが奪い去って、二本の足で立っている大地の感触を根こそぎにしてしまうからだ。

タイ人の愛想の良さにほだされて、俺はつくづく馬鹿な男だ。『アブサロム、アブサロム!』のウォッシュ・ジョーンズを、『審判』のヨーゼフ・Kを、『追放と王国』の背教者を思い出せ。苦痛と恥辱の鞭でこの身体をびしゃびしゃに叩きつけて、孤独の感情を学び直せ。