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「ミスト」について考え直す

『ミスト』ネタバレ感想: 私がこの結末を衝撃的だとは思わなかった理由

https://marsconnector.com/entertainment/cinema/the-mist.html

 

「ミスト」は愚にもつかない不快なだけのパニックホラーだと思っていたが、このレビューを読んで少し評価を改めた方がよいと思った。

この映画では、主人公はいかにもヒロイックで、パニックや恐怖に屈することなく立ち向かう、無謬の善良な存在であるかのように思いがちだが、決してそんなことはない。かれは確かに勇ましく決断力に溢れているが、それは作戦の成功を必ずしももたらしはしないし、むしろ仲間の無益な死を数多く引き起こす。かれにつき従った仲間たちは、最終的には、一人残らず化物に殺されるか、または、他ならぬかれ自身の手によって殺される羽目になる。その意味でかれはヒーローではなく、結果からすれば、仲間を犠牲にした末に自分だけは生き延びてしまう卑怯者にすぎない。

序盤に、子供を救い出そうと単身でスーパーマーケットから飛び出す母親や、仲間内での断絶と殺し合いを煽り立てるだけの終末論の狂信女は、主人公からすれば、恐怖を前に判断力を曇らされた、愚かしい存在としか見えないだろう。そしてわれわれ観客たちも、主人公の視線につい同調して、かれの選択と決断こそが、勇気と知力に支えられた唯一の正統な解決策であるかのように思いこまされる。だが、主人公と異なる戦略を選んだ母親や狂信女が、この勇ましいだけの似非ヒーローと比べて特段優れた判断力を発揮したわけではないにしても、実はそれほど悪い結果をもたらしはしなかったことに観客はしぶしぶ気づかざるを得なくなる。

それこそがただ一つの正義だと観客とともに信じていた主人公の選択が、実は誰ひとりとして救うことなく終わることで、その正義は顛倒し相対化される。おそろしい化物の襲来に対して、生き延びるための唯一の正解があったわけではない。それは、勇気や合理性や決断力といった、有事の際に称揚されがちな既存の価値が惨めたらしく敗北し、運良く生き延びた母子の蔑むような視線にさらされることを意味しているのだ。