思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

タイ出張Ⅳ ゲート

会社が手配した車で空港まで送迎されたのは、6月11日の夜だった。そのときの孤独と惨めさときたら、わずか一週間前、スワンナプーム空港に降り立ったとき、熱気にあてられた高揚と快い緊張感に包まれていたことが遠い夢のように感じるほどだった。折しもその日の夕方は暴風雨がアユタヤを襲い、停電が数時間続いたのだった。空港へ送迎されたのはすでに停電が回復したあとだったが、自分だけが冥府の闇に閉ざされて、地盤沈下して水浸しになった大地にひとり取り残されているような寂寥感をぬぐい去ることはできなかった。人の温かみが俺の足を知らずしらず萎えさせて、単独で山に登ることの過酷さに耐えきれなくしてしまったかもしれないという不安にとり憑かれた。

大雨のあとの湿気で爛れた空気に包まれて、車は夜の高速道路を突っ切っていく。後部座席の車窓から橙色の照明を煌々ときらめかせるカフェが覗いたときは胸が張り裂けそうになった。それは俺に笑顔を振りまいてくれたタイ人女性の朗らかさを痛切に思い出させたからだった。そして、俺があの柔らかい照明のなかに迎え入れてもらうために差し出すことのできる持ち物を自分自身の内側に探ってみたとき、何の役にも立たないガラクタばかりが充ち満ちていることに気づいて愕然としたのだった。文学は、「運命論者ジャックとその主人」は、300年前の人びととの架空の交流を築き、古今の人間すべてに対する無条件の深い連帯を意識させることはあるかもしれないが、それは、食事をし、冗談を言い、笑いころげる実在の人間の体温を感じ取ることのできる関わりにはいっさい寄与することのない、見事なゴミクズなのだった。そして俺はそのゴミクズをたずさえて、今や日本へとひとり帰国しなければならないのだった。

空港は、車窓から覗いたときのカフェの温かみを払いのけるような、ぎらついた照明で彩られていた。ゲートに降り立ったとき、たとえようもない感情の津波が、代わるがわる俺の胸に攻め立ててきた。それは不甲斐なさであり、決然とした発奮であり、耐えきれない孤独であり、タイ人Nへの深い親愛の情であった。彼女は、Kに対する俺の慕情を理解しつつ、つねに俺との友情を疑わず親身に接してくれた。互いに弱みをさらけ出して、なにかまだ語られていないものについて語ろうとする健気な姿勢を崩すことがなかった。こうしたNとのささやかな絆が、空港のまぶしすぎる明かりによってあえかに蒸発し、バンコクの蒸し暑い大気のなかへと拡散してむなしくたち消えていくような幻覚に襲われた。そのとき俺は自分の両目に涙がにじむのを抑えることができなかった。ゲートから先へと足を進めて屋内に入ろうとしなかったのは、押し寄せる感情のさなかにあって、変わらず俺にぎらぎらと照りつける空港の白銀の照明が、日本へ戻らなければならぬという使命感をじわりと呼び起こしていくからだった。俺は色とりどりの感情の手ざわりをひとつひとつ確かめていたくて、もう少しゲートの前で立ちつくしていたのだった。