思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

哲学はクソの役にも立たねえ

企業勤めをしていて驚くのは、文学や哲学が社会に順応する上でまったくクソの役にも立たないどころか、むしろそこに書かれていることをいっさい忘れ去らないと、他者とのコミュニケーションにおいて重い足かせにしかならないということだ。

たとえば、俺はジェンダー異性愛というものへの不信感をジェンダー理論の書籍によって植えつけられたが、そこに書かれていること、たとえば性というものが決して生得的なものではなく、文化・メディア・行動様式・ホルモン・その他の要素といった無数のマトリックスの網の目から、社会との相互作用によって初めて浮上してくるような、構成的な規範に対する名称だということを俺が信じていたとして、それが職場の女の子と楽しく食事をしてうまく会話をこなしたり、女性にモテることにどう役立つというのだろうか?

俺は書籍に書かれていることがでっち上げのデタラメだとは思っていない。むしろ、俺は性というもの、少なくとも異性愛というものが社会構成的な観念だということを本当に信じてすらいる。だが、彼女たちの愛想笑いに対して自然に笑い返したり、いろいろ話をしたり、ときとして気立てよく気を遣ってやるときには、その信念は邪魔者にしかならない。もっというと、女の子と楽しくやっていくには哲学書に書かれていることがひとつ残らずデタラメだということを信じているふりをしていなければならないということだ。

これはジェンダーだけの話ではなくて、職務をこなして労働すること、企業勤めの社会人として生活を送ること全般に当てはまる。これは俺にとってはかなり屈辱的で、苛立ちすら感じることさえあるのだが、どうしようもない。