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思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

意味論的なホーリズム、あるいは工場のトラブルは開花することについて

製造ラインにある測定装置の不具合が起きて、復帰させるための対応で試行錯誤した。それでも装置を復帰させることができなかったので、ベテランの先輩の助けを借りて修復してもらった。しかし、俺がひとりで試行錯誤していたときに測定の設定を変えたままにしていたために、2日間の現場の作業の一部が無駄になってしまった。これが現場で問題視されて、俺を含めた担当スタッフが再発防止対策書、要するに始末書を書かされることになった。もともとの装置の不具合は、俺のOJTの先輩が試作品評価のために前日に使ったことが原因で起きたと思われる。作業者も作業長も俺も、おそらく先輩本人でさえ、うすうすこのことに気づいているだろうが、今となっては誰にも確かめられない。

この場合、もっとも重大なミスをしたのは誰かと追及することは無理だし、そんなことは不毛に思われる。このトラブルは以下のように、いろんな人の軽率が積み重なって生じたもので、水をやってゆっくりと成長させ、見事に花を咲かせた植木鉢の植物のようなものなのだ。水やりを毎日してついに開いた花を見て、これは何月何日に水をやったおかげだと言う人がいるだろうか?

1. 試作品の評価が終わったあと、OJTの先輩が標準サンプルを測定して異常がないことを確認していなかった

2. 作業前に標準サンプルを測定して、異常がないことを作業者が確認していなかった

3. 俺が測定系の設定を変えたあと、もとに戻すのを忘れていた

もちろんトラブル発生の決定打は俺である。だが、俺が測定系の設定を変えなかったとしても、俺に測定系の設定を変えさせた状況は変わらずそこにあったのだ。そして、設定をもとに戻さなかった状況もまた同様であろう。

 

これはクワインが言うところの、すぐれて意味論的なホーリズムである。厳密には、ミスと呼ぶべき行為は工場には存在しない。あるのは、設備状況とそれに対する一連の規定作業という相補的なコンテクストの総体と、そこに埋めこまれたわれわれ工場労働者の応答だけである。トラブルが起きたとき、全体の文脈と不和を起こしていると解釈される作業がミスと名づけられるが、これは事後的な処置にすぎない。焦点を合わせるべきなのは個人の作業ミスではなく、工場を成立させるコンテクストの相補性がいかにして毀損されたのか、そして、相補性が失われたコンテクストを前にして、作業者がどのような応答を示したかという二点であろう。