思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

高校時代の友人と赤城山の周遊登山をするために、金曜の退勤後に電車で前橋まで向かい、駅近くのファミレスでステーキを食べ、ネットカフェで前泊する。すでに社会人だというのに、滑稽なほど貧乏性でありつつもひたむきな、傍若無人なまでのがむしゃらな自由を汲みつくす身振りによって、大学一年生のとき、ワンダーフォーゲル部に所属しつつ、部活の先輩に連れられて山の世界をその肩越しに覗こうとし、文学と人生の価値にあまりに無知であるがゆえの、自分が惨めになるほどの得体の知れぬ焦燥に憑りつかれていたあのときの感情を思い出そうとする。

 

お前は、ひとりの人間の意志と比べたときの世界のあまりの途方もなさに愕然とし、世界を意志の光のもとにあまねく照らし出すためには、覚醒したキリーロフとして自死を選ぶことによって人間の本当の自由を証明する手立てしか与えられていないと考えていたのだ。

お前は正しい。意志は無残に破れ、そのばらばらの破片を一生かけて拾い集める恥辱を人生は俺に課したのかもしれない。しかし、ちょうど波打って緩やかに流れる川がその波頭のひとつひとつに太陽のきらめきを涼やかに映し出すように、散らばって泥濘の底に沈殿したかに思えた意志がみずから湛えていた光を互いに乱反射して返す、刻一刻と移り変わっては、呼応するようにせわしなくまたたく輝きを前にして、いまや俺は、固有の複雑な運動と法則が編み出す意志のけなげな美しさというものに見惚れる思いなのだ。