思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

整理がついていないただの思いつきにすぎないのだが、いちおう書きとどめておく。

 

「メディアはメッセージ」という言葉が、個人とネットの関係について何がしかの示唆を含んでいるとすれば、それはネットの「署名性」が個人に対して無垢であること、赤裸々であることを絶えず要求しているということだと思う。

ネット上で嘘をつくことは誰にもできない、という事実は、それがたとえ見かけ上のものであったとしても、見かけ以上の本質を意味している。「あの発言は虚偽だった」という告白によって過去の発言に斜線を引くことはできない。かれがネットに書きこんだ文章や配信した発言は、「かれが本当に言いたかったこと」としてかれの中に書きこまれてしまう。これはパロールとは異なるが、またエクリチュールからも微妙に逸脱している。それはパフォーマティヴに自分自身との関係を不可逆的なかたちで設立していく側面が異常に際立てられたエクリチュールである。

そこに記録されたものは、たしかにかれの発言なのだが、かれは発言する瞬間に「わたしはこのような者である」と形而上の署名をする。この手続きによって、エクリチュールがまだしも透明であったと思えるほど、精神が言葉に受肉してしまっている。