思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

真実へのロトの妻的な愛について

「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150311-00000032-asahi-soci

 

菅原彩加という人物については某所でいろいろと取り沙汰されているようなのだが、ここではその真偽は問題ではない。私が面白いと思ったのは、以下の発言である。

 

239 風吹けば名無し@\(^o^)/ :2015/03/12(木) 16:27:11.01 ID:Q+kXqRCoa.net

正直な所 上手く世渡りしてこっちに胡散臭さを感じさせんかったら

知らん所で稼いで楽しくやってて

それをリークされても怒りはさほど感じんわ

こんなガッバガバな奴が有能扱いされて褒め称えられとるんが腹が立つ

 

 

239は、(噂が真実だとして、)真実を知らなければ怒りを覚えずに済んだはずだとは言わない。それどころか、真実が真実として公表されたとしても今ほどの怒りを感じることはないだろうと述べる。239の主張とはこうだ。問題は、菅原彩加という人間が、(噂が真実だとして、)虚言を交えつつ「楽しく」「世渡り」していることではない。そうではなく、「有能扱いされて褒め称えられ」ている人間が、実は「ガッバガバな奴」であるという状況が問題なのだ。

言い換えると、239の認識が真実なるものと疑念の余地なく一致するならば、すでに239が怒りを表明するまでもないことになる。ところが、「ガッバガバな奴」という噂が単なる噂としてとどまり続けることで、真実として浮上することがないならば、「有能扱いされて褒め称えられ」ている彼女に関する現行の真実と、水面下での噂とのあいだに引き裂かれながら、239は「胡散臭さ」のなかで宙吊りにされることになる。239がみずからの怒りを鎮めようと思うなら、噂を信じなければよい。しかし239が噂を知ってしまったとき、彼女を「有能扱い」し「褒め称え」る人びとと、239との間に生まれた断絶が、現行の真実をまやかしに変えてしまったのだ。239は真実ではないものを真実として愛する世界が憎いのであるが、この憎しみは真実への愛を与えてくれるものでもある。

したがって、239はやはり真実を真実として愛する者である。しかし、ここでの真実とは「みんなが真実として知っている」ものである以上に、「誰も知らない」真実である。まさにそのような真実こそ愛するに足るものではないだろうか。誰も知らない真実は、言うなれば、振り返れば塩の柱にされてしまう街、ソドムとゴモラのようなものだ。ソドムに背を向け、みんなが見ている方向を見ている限り、神の寵愛を失うことはない。しかし、みんなが見ている方向は、自分も同じように見ていたって何の足しにもならない、とロトの妻は気づいたのである。誰も見ていないものは、誰も見ていないがゆえに振り返る価値がある、と。そして振り返って目をやった瞬間、彼女は身動きがとれなくなり、ソドムを見やるその視線は凍りついたまま、はりつけにされてしまう。 ロトの妻は自分に続いて誰も振り向かないことに憎たらしく感じはしただろうが、彼女はそれを望みはしなかった。塩の柱にされるとは、真実を愛するとは、こういうことである。