思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

ジュリアス・シーザー」を読んだ。この戯曲の批評を試みてもプルタルコスの「英雄伝」に座礁する他ないと思われるのだが。

 

メモ。アキレウスが怒りと咎めの応酬へとみずから飛びこんでいく、という記述は正当である。かれは自分がいつか贖いの対象となるであろうことを知り、なおヘクトルを打ち倒さんと立ち上がる。ただし、かれのパトロクロスのための復讐とアイネイアスのパリスのための復讐について、差異を際だたせるために比較する着眼点には慎重であらねばならない。復讐が神に捧げられているとか、聖性とかの話にもっていこうとするからこんがらってしまうのである。それはちがう。

問題は、贖いが絶えざる贈与・受領なのか等価交換なのかということだ。これはもう答えが出ている。アキレウスの場合、かれの復讐はかれ自身の流血によって咎めを受けるので、閉じていない。アイネイアスの場合、かれの復讐はそれによって契約が満了するような大団円なので、閉じている。それだけの話だった。