思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

「真夜中の子供たち」下巻を読んだ。この小説はギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」の倒立した主体と、猥雑さそのものであるかのようなインドの大地のイメージの結合が産み落とした私生児である、という雲をつかむような印象でいまのところ茶を濁す他はない。私生児という言葉の意味はこの小説においてある特別な強度とともに与えられているので、私の所感もまた小説を読む私とともにあるものとしてその内側で与えられ、小説を読むという持続された時間の中に埋めこまれている――あるいは埋めこまれていた――のだろう。

このことを確かめるかのように、私生児、と心のなかでひそやかに呟いてみる。すると誰とも知らぬ名指されたその子供は父であり母であるはずだった「ブリキの太鼓」のオスカルをこえて、シヴァ神パールヴァティーも飛びこえて、「群衆という多頭の怪物」のなかに「馴染みぶかい顔」たちを見つけ出すだろう。そして彼を土くれから形づくり、その螺旋する腕のもとに繋ぎとめて離さない歴史という渦のただなかへと飛びこんでいくだろう。奔出するこのイメージの衝迫、これがいまの私に可能な要約である。