学会のポスターはほとんど完成した。とはいえ英文が正しいかやや怪しいのだが・・・
「科学哲学の冒険」を読んだ。反実在論についてはイメージをもてたが、終盤の実在論の擁護は余計だった。
ブコウスキー「町でいちばんの美女」を読む。いかん、ビートニクの小説はまるで性に合わない。ひとつ言えるとすれば、ブコウスキーはかれ自身が主人公である小説において、管を巻くように(そして実際にしばしば管を巻いているわけだが)「まっとうに働く」生き方を軽侮しているわけだが、かれにその身振りをとらせ、その標榜が「おれの居場所はここ」だと感じさせるところの肩書、すなわち
を名乗るとき、まさにその露悪さによってかれが自己言及するときの韜晦に気づかされるということである。そこに潜んでいるのはおそらく、女たらし、ハスラー、ギャンブラー、改心したポン引き、チューリップ栽培者のいずれでもない、あらゆる肩書を突き破ろうとするかれ自身の可能性というようなものではない。ではなんだろう。訳者がブコウスキーの書き方に感じた、「おれの本業は詩だ、という逃げ場」にすぎないのだろうか。これは通読してから再度考えることにしよう。