思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

シェイクスピア覚書

ロミオとジュリエット」を読む。ここでは名前と内実、あるいはみかけと本質の関係についての二つのイデオロギー、つまり人間に対する字義(=容姿)に密着した評価と、字義に疑いをもってかかる評価が対決させられている。これはちょうど「ビリー・バッド」を彷彿とさせる。ところが、シェイクスピアにおいては、当初は字義をこよなく愛していた人間が、うってかわって現実に対して過度に譬喩的な解釈を行ったり、かと思うと字義に対して慎重であった人間が途端に字義に寄り添いすっかり依存してしまったりしている(これはロミオとジュリエットの二人の変遷に他ならない)。イデオロギーの信奉者は物語の進行とともに交代し、互いに自分自身の立場を否定する決定不能のもつれ合いのさなかで急遽幕は閉じてしまう。とすると、これはプラトン対話篇「プロタゴラス」にかなり接近しているようにも思えるのである。朝露に濡れた花の甘美さを思わせるロミオの囁きと憂鬱、饒舌にして猥雑な地口、はたまた騎士道的な勇敢さに満ちたかれの高邁さを一緒くたに受け止めるとき、ロミオという人間の表を飾る甘いマスクがまさにかれの「仮面」であったのではないかという疑念もまた生じてくる。読者はここでも、字義的な意味への二つの異なる態度が対立させられていることを知るのである。

 

 

それはいいとして、週末に伊吹山に登る計画を立てているのだが、研究室がけっこう忙しい上に生活リズムがとても安定とは言えない状態なので、体調を万全に整えられるかやや心配ではある。