思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

geocitiesのサービスがまもなく終了してしまうそうなので、これからは日々思ったことや考えたことをこちらに書くことにする。

 

自己の代理や延長をより純粋な形で外部に仮託し、その外部と陶酔的な同一化を遂げることは魅力的であろう。特に、自分が記述したエクリチュールに自意識の聖性が伝染される場合がしばしばある。ある主張なり見解なりを述べたとして、あらゆる他者の解釈に対して、それが他者の解釈であるという理由だけで誤解と誤読に満ちていると無条件に思い込む、あるいはたとえそこまで極端ではないにしても、自分の所信がそれと対立する所信によって相対化され並列されうるという事実を拒みつづける感覚は身近なものではある。前者の行きすぎた場合、エクリチュールが他者にとっても、むしろ自分自身にとっても根源的に理解不可能であるような象形文字としての役割を強く嘱託されることがある。バフチンの言葉を借りるならば、

定義のすべては彼が自分で把握しているものであり、そして彼自身がそれを意識しているという理由によって、どんな定義も彼を完全に規定することができないと理解している

ここでの「彼」がまさにエクリチュールそのものである。これが象形文字であるのは、「規定することができないと理解している」のは書いた当人のみであるからだ。そしてそのような聖なる領域に入りこんだ文章は、

己れを外見だけで決めつけようとするあらゆる定義を内側から突き破って、それを虚偽としてしまうような自分自身の可能性を感じている

 という物語のなかに布置されることを強いられる。これは執筆者本人の代理された表象であり、かれの自己了解の反復に他ならない。