妙義山に行ってきた。いろいろ反省点はあるが、無事に下山できたのでなによりだった。
岩場の登りでは、可能な限り鎖を使わないように心がけた。しかし、鷹戻し手前のある岩場ではどうしてもホールドが見つからず、鎖を握りしめて登らないといけなかった。
山から帰るたびに、俺は自由の感情を学び直すが、同時に自分の実力の至らなさと山行のぬるさには反吐が出そうになる! より過酷な山行へ! 両脚をへし折ろうが自力で下山できる精神力だけが成し遂げられるような、さらに苛烈な登山へ!
恐ろしいのは岩場での滑落ではなく、道迷いによる時間切れだ。
会社の先輩や同期とともに外秩父七峰縦走ハイキング大会に参加して42キロ完歩することができた。参加人数が多すぎて、前半は登山道が渋滞していた。また、普段運動していない人にペースをあわせたので、20キロ地点まで行くのに8時間かかった。後半は完歩を目指すメンバーだけでハイキングを続行して、途中で走りつつ、3時間半でゴールにたどり着くことができた。
来週末は表・裏妙義縦走をすることを考えるが、俺にできるのだろうか。
小説「見えない人間」の作者あとがきで、ラルフ・エリスンはこう述べている。「肌の色を意識することを忘れるとき、ぼくたちは透明人間になってしまう」。少なくとも俺にとって、これは人種やマイノリティの問題にとどまるような、字義通りの箴言ではない。なにか人間の単独性とその尊厳に関わるような警句なのだ。
他人の評価を考慮に入れておく必要がある限りにおいて、仕事というものにクソの価値もない。
いや、これは精確ではない。俺は、作業の単純な面白さや、順調に進んでいることの喜びなど、なんでもいいが他人の評価とは別の基準に寄り添いたいだけなのだ。評価は与えられないにこしたことはないが、少なくとも付属的なものであってほしい。どんな評価であろうと、それ自体はなんのモチベーションにもならない。