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思ったこと、考えたこと。

日々思ったことや考えたことを日記代わりに綴っていきます。がんばります

救援隊にしておくれ

俺は、たとえ自分が複数の他者から受け入れられているときでさえも、むしろ受け入れられているときにこそ、かれらの優しい視線から背を向けて、一目散に逃げ出したくなるような無限大の悲痛を味わう。

だが、こんな俺でさえもタイ人のKといるときは別だった。彼女に対してだけは、人のために尽くそうという思いが素直に芽生えてくるのだった。そして、俺がこんなにも心から人に親切にしたのは生まれて初めてとさえ言えるものだ。

江ノ島の海岸で彼女と隣り合って座っているときは、彼女がもうすぐ帰国してしまうことを思って胸が張りさけそうな気持ちになるとともに、それがかえって彼女が隣にいる時間を余計に甘美的なものにさせるのだった。

犬夜叉とクマのキャラクターが好きで、チョコレートとつけ麺に目がなく、冗談をよくいう彼女はすでにタイへ帰ってしまった。タイへ行くことがあったら観光案内をしてあげると彼女は約束してくれたが、俺が向こうで彼女に会ったとしても、別れのつらい思いをくり返すだけだろう。彼女が俺のことをどう思っているのかは分からない。いまさら確かめようとしたところで、苦しみは増すばかりで何になるのだろう。

だから、俺はこの悶えるような胸の苦しみを取り払うために、ふたたび山へ向かうだろう。俺は、こうして世俗のあらゆる価値観と人間関係をまるごと唾棄するかのように払いのける他に、思考を女性のことから解き放つ術を知らないのだ。

テグジュペリよ、どうか俺をおそろしい重力の魔法から救い出しておくれ。針のむしろに寝転がるような、他者と関わることの苦しみのもとから上空へとすくい上げて、俺が自分の足でふたたび痛みのもとへと帰り着くだけの寛大さを与えておくれ。誰が帰還を待ち望んでいるわけでもないこの俺を救援隊に、自由へのすがすがしい愛情とともに他者のもとへ駆けつけることのできる救援隊にしておくれ!

俺は、たとえ自分が複数の他者から受け入れられているときでさえも、むしろ受け入れられているときにこそ、かれらの優しい視線から背を向けて、一目散に逃げ出したくなるような無限大の悲痛を味わう。

この心理はきわめて謎に満ちており、自分でも驚くほどだ。

だが、俺のあまのじゃくな尊大さが、砂漠のど真ん中に不時着したテグジュペリのように、こう口ずさむのを許してほしい、君らの方から駆けつけてくるな、君らは俺の視界の入らないところでせいぜい好き勝手やっているがいい、君らのもとから離れるのは俺の方からだし、駆けつけてやるのも俺の方からだ。

ファインディング・ニモ」を映画館で観たのは中学生のときだったが、ドリーがやかましい上にど忘れが激しいことにいらだつばかりで、映画を楽しめなかった記憶がある。当時の自分のアホさ加減にはあきれ返るばかりだ。

ある先輩と職場で話すとき、なぜかいつも笑いがこみ上げてくるので、それをこらえるのに必死になる。だが、けっきょくはお互い笑いをこらえきれずに吹き出してしまう。あの先輩は存在自体がツボなのだ。いったいどうなっている?

土曜日はタイ人の女性エンジニア2人を水族館へ連れて行った。来日して買ったという一眼レフのデジカメでひたすら魚を撮りまくっていた。子どものように互いに写真を撮り合っていて、見ているだけでも本当に面白かった。

日曜日は、女性エンジニアの幼なじみが東京に留学しにきており、彼女とともに鎌倉・江ノ島へ観光しにいくというのでついていった。鎌倉では、タイ人女性3人はひたすら桜や花の写真を撮影していたが、江ノ島では俺もそれに交じり、ちょっとした撮影大会かなにかのように互いに写真を撮りあった。

 

まさかこんなハーレムのような経験をするとは・・・英語がそこそこできることの本当の利点を思い知った・・・

 

ちなみに彼女と別れた。今は登山とタイ人のことしか考えられない。

would,couldがなかなか使い勝手のいい助動詞だということを理解した。will,canはニュアンスとして確度が高すぎるので、日常での冗談や婉曲的な言い回しとは相性が悪い。

 

ビューティフル・マインド」を観た。

ともに働くタイ人女性のこと

イミテーション・ゲーム」を観た。

 

タイ人の女性と相変わらず毎日lineをする。シャイでいて寂しがり屋の彼女は、社会人3年目の先輩のくせして、年齢が一つ上だからというだけで俺のことを"my brother", "bro"と呼んでくる。ともに日本へ来ている馴染み深い他の同僚が早い日程で帰国してしまい、故国が恋しくてつらい気持ちでいっぱいなのだろう。俺のような無愛想でそっけない人間にさえこんなに接してくるのだから、よほど心細く感じているにちがいない。

彼女の仕事をサポートし、ときには先導しつつ、タイの子会社で新製品を量産するのに必要な工具を買いそろえるのが俺の仕事だ。俺は職場では彼女とは慎重に距離を置きつつも、誠意をもって丁寧に補佐をしている。彼女が俺のことをどう思っているのかは分からない。彼女の方でもプライベートでは一定の距離を置きたがっているようだが、それが内気なのか、タイ人らしい面倒くさがりな気質なのか、あるいは異性への奥ゆかしい警戒心ゆえなのかは分からない。

それでも、職場での事務的な会話に反して、こんなにlineですり寄ってくるからには、俺に何かを期待しているのだろう。性的な期待なのか、媚を売れば俺が仕事を熱心に手伝ってくれるだろうという女性らしい打算なのか、あるいはたわいないことを語り合って、明日を切り抜けるための気力をふたたび温めてほしいのか。彼女の中でも区別がついていないかもしれない。日本の三月はタイ人にはあまりに寒く、今朝は雪さえ降った。馴染みのない国に放りこまれて、寒空の下、薄着で毎日長時間のバス通勤を強いられる彼女の心痛はいかばかりだろう。

俺は女性のコケットリーをあまりに怖れているので、たとえ女性が救いを求めて手を伸ばしていようが、その指先から漏れるわずかな性的な気配を察知して、差し伸べようとする俺の手はたちまち冷たくこわばるばかりだ。だが、年配の男ばかりがいる、聞いたこともない言語が飛び交うこの職場において、彼女は今やひとりきりで耐えている。そんな彼女が俺になにかを求めているのに、彼女の感じる心細さを女特有の媚びへつらいだと切り捨てて、これ以上なにもしなくてよい理由があるのだろうか?