俺の意識を掣肘し、がんじがらめにするすべてから俺は抜け出す。山に登るのは、感情を学び直すためだ。
幸福
会社の同期と新潟へ一泊二日でスキーに行ってきた。まるでリア充のようではないか。
だが、俺が望むのは、
自己の完結性を暗示するあらゆる固定したイメージを自ら突き崩し、人生が他人の言葉に覆いつくされることを断乎拒否して、他ならぬ「自分の最後の言葉」によって唯一無二の人生を立証しようとする
ことだけなのだ。そして、俺はただ一人で山へ登るときにのみ、肉体のうめき声のなかに自分自身の言葉が脈打つのを感じ取れる気がするのである。実際、それ以外のことに価値はあるだろうか。俺は幸福を求めない。もてる感覚の総力を挙げてくみ取るには、幸福はあまりに無感情で、それでいて、いやいや学芸会に駆り出されて人の目を始終気にしている子どものようにおどおどとしていて、おぼつかない。
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仕事って、いろんなタスクを同時に進行させようとするとマジで全然進まないんだな・・・この一週間なにやってたんだっけ俺・・・
次に床屋へ行くときは髪をすいてもらおう。ボリュームありすぎて見た目がうっとうしい。勘弁してくれよ・・・
明け方にザックを担いで
山に重く覆いかぶさる夜のとばりが太陽にしぶしぶ王座を明けわたす時間、空気の色合いは黒檀色から深海のように黒みを帯びた紫へ、そこから藍で染め上げたような濃青へ、さらには、徐々に明度を増してカゲロウの羽のような白みをたたえ始める。しんと冷たい大気に身をさらして脳漿に空気をすばやく送りこむと、さまざまな色合いの気体が身体中を駆けめぐって体内の熱を取りこみ、蒸気機関が泥炭をむさぼり食って絶え間なく吐き出す蒸気のように、燃えさかる灰白色の呼気として大気へとふたたび放たれる。
だから、女を抱くことより山登りの方が俺を高揚させる。